改修工事の概要
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このちいさな建物は明治13年(1880年)に竣工し、今年で125年が経ちます。現在の科学博物館の前身教育博物館書籍閲覧所の書庫として、当時工部省技官だった林忠恕(はやしただひろ)により設計、工部省により施工されました。 現存する数少ないレンガ造建築であり、貴重な文化財といえるものです。 東京芸術大学百年史(大学編)でもこの建物の歴史的意義・変遷が記されています。 すぐ裏の赤レンガ2号館とともに図書館時代には樋口一葉・森鴎外らも通ったとの話も未確認ですが伝え聞いています。(ここは日本の図書館のルーツでもあります。ただ、記録が見つかっていないため、正確なところはまだ不明です。科学博物館への問い合わせも始めようとしています。) 芸大の真ん中を走る通り沿いには赤レンガの2棟と陳列館、正木記念館、旧本館の玄関庇(移築)もあり、文化財級の建物が並ぶ歴史的なストリートを形成していることも注目に値するものです。(本年10月にはエンタシスの大変きれいな柱を持つ旧本館玄関庇の扉を開きミュージアムショップのある中庭へアプローチすることができるようになります。) 赤レンガ1号館は2号館と共に美校へ移管された後、関東大震災で被害を受けつつ、美校文庫の書庫から藝大附属図書館書庫、電話交換所、教室など模様替えをされながら様々な利用がされてきました。 昭和53年には解体の危機も逃れ、そして改修直前には両学部OB会事務局・教育資料編纂室・談話室が置かれていいました。 今回の改修工事は杜の会の発案により、同声会との共同事業として進められています。工事完了後は元の通り大学による管理・運営がされ、その一部を両学部OB会事務局が永年に渡り利用することで大学側と合意し、現在詳細な取決めを進めている状況です。 (これを機に、資料編纂室は旧資料館旧資料館い移転し、1階を両学部OB会事務局、2階を二つの談話室に構成換えをします。) 美校開設前からあるこの建物は最初の校舎であり、いわば芸大のルーツともいえる歴史的に非常に大切な建物という位置づけができます。 今回の耐震改修を軸とした大幅な改修を行えることは開学120周年を控えて大変に意義のあることと言えます。 この建物を使える形で動体保存し、これまでの藝大の歴史、そしてこれからの藝大の歴史がそこに刻まれることを体現するシンボルとして今後も大切に使い続けていくことが重要になると考えています。 改修前の建物の状態はあまり良好ではありませんでした。雨漏り、すきま風、冬場の寒さ、薄暗いトイレ、鉄の雨戸の腐食、無計画な設備の追加、直近の樹木による直接的な影響などの数々の問題がありました。今回の工事でこれらについても解決を図る計画です。 内部は耐震構造と併せて間取りから設備まで全てを刷新し、居住性・利便性を高め、対して外部は鉄の雨戸を補修・復元するものの、今現在の趣きのあるある姿をできるだけ保持する方針に沿って設計を行いました。 |
その他工事の概要は以下の通りです。 工事にあたっては、本部施設課の監修・協力を、大学本部及び美術学部、音楽学部、文化財保存学の清水真一先生・椎原晶子先生、それから前野まさる先生など多くの方々にご協力とご意見を頂きながら、杜の会会長の六角鬼丈先生の指導のもと、美術学部将来計画準備室の監理にて慎重に進めております。 |
これ以前に電話交換所時代、図書館書庫時代と用途によってプランが変わっていますが階段の位置は変わっていません。 |